文芸部シリーズ
一話その3
トレイに液体が入ったティーポットとソーサーが三客分となると、ちょっと重い。バランスを崩さないように慎重に階段を上って、廊下の突き当りの部屋が陽輔の部屋。
ドアをノックしようにも両手がふさがっているので扉の少し手前で「ようちゃん、紅茶入ったよ」と美穂子が声をかけると、「わかった」との返事があって、ゆっくりと扉が開かれた。
そこまでは、いつもと同じ。
ただ、いつもと違ったのは扉を開いた人物が部屋の主ではなかったということ。
無駄なくらいに爽やかな笑顔で立っていたその人は、柔らかな声音で彼女に話しかけてきた。
「ありがとう、美穂子」
「え?あ、いえ」
てっきり陽輔が顔をのぞかせるとばかり思っていた美穂子は、一瞬、声を失ってしまった。そんな美穂子を見て少し苦笑めいたものを浮かべながら、淳が両手を差し出す。
「受け取るよ」
「大丈夫です」
「いいから。少なくとも、美穂子よりは力あると思うよ、俺のほうが」
「……ありがとう、ございます」
いたずらっぽい瞳で覗き込まれるようにして淳にそんなふうに言われると、美穂子に否と言えるはずもない。
間近で見つめられて恥ずかしいけれど、でも、こういうときに視線を外すのはよくないだろうと思い、少女は少し頬を染めながら彼を見上げた。
「いえいえ」
困ったような嬉しいような、そんな気持ちがそのまま浮かんだ美穂子の微笑みに、淳はなんだか楽しげな表情。
彼は時々、そんな表情を美穂子に見せてくれる。
「ほら」
促されて、トレイを淳へと渡す。
彼が受け取る瞬間に、ほんの少しだけ彼の指が美穂子のそれに触れたような気がしたけれど、きっと気のせいだと思いなおす。
これ以上意識してしまったら、傍にいられなくなってしまう。
それは、美穂子にとって何よりも辛いことだから。
「来たぞ〜、紅茶と美穂子」
「わかってるっての」
淳に続いて中に入ると、ベッドに寝転がっていた陽輔が上半身を起こしているところだった。
フローリングの床の上にトレイを置きながら、淳があぐらをかく。邪魔にならないようにと少し離れて美穂子が座ろうとすると「美穂子、座布団」と陽輔がベッドの傍らにある座布団を手渡した。
「ありがとう、ようちゃん」
「……まあ、学校じゃないからいいか」
美穂子の言葉に複雑な表情になった陽輔だが、そう言って淳の隣に座る。
淳と陽輔の二人が並ぶ姿は、美穂子には見慣れたものなのだけれど。
でも、ふとしたときに思う。
確かに、この二人ってどこか似ている。
身長は同じくらいだが、顔が似ているというわけではない。淳はどちらかといえば優しい顔立ちで、陽輔はそれよりも目が少し切れ長だ。
けれど、二人でふざけあっているときとかだけでなく、別々のときにもふとした瞬間に似ていると感じることがある。
きっと、それは考え方とかの根っこの部分なのかもしれない。そんなふうに美穂子は思う。
人への接し方とか、違うようでいて、すごく似ているような気がする。ふざけたり、からかったりもするけれど、それは決して相手を嫌な気持ちにさせるような類のものではないから。
紅茶の入ったカップを床に直に置こうとした陽輔だったが、はたと何かに気づいたようでちらっと美穂子を見やった。一瞬、その視線の意味を捉え損ねた美穂子だったが、すぐに気づいてにっこりと微笑む。
ああ、前に直接床に置かないでって言ったことを覚えていてくれてるんだ、ようちゃん。
「とりあえず……これでいいか」
近くの雑誌を取るとその上にカップを置いた。そして、淳と美穂子にも雑誌を一冊ずつ渡す。
「折りたたみの机くらい用意しておけよ、陽輔」
「そんなものあったって邪魔なだけだろ」
「あると便利だぞ? 食事するならあれで充分」
「それは一人暮らししてるからそう思うだけだっての」
相変わらずなやりとりをしている二人を、美穂子はふわりと微笑んで見つめていた。何もかも変わらないなんていうことがないことは知っているけれど、少なくとも陽輔と淳の二人はずっとこのままでいてくれるような気がして。その二人の傍にいられることが、とても大切なことに思える。
そんなふうに考えてしまうのは、高校入学という大きなイベントが終わったからなのかもしれない。
中学卒業の感傷や高校生活への不安と期待、そんないろんな気持ちが混ざり合っていて、美穂子自身にも整理がつけられない。
「美穂子?」
「え?あ、ごめんなさい」
ほっとしたら、そのまま考え込んでしまっていたらしい。美穂子は訝しげな表情の陽輔に向かって、曖昧に微笑んで見せた。
「まあ、いいけど。それより、ほら」
少し不機嫌そうにぬっと陽輔が彼女の目の前に差し出したものは、モンブラン。
「……え?」
「覚えてない? 去年も一緒に食べただろう、俺たちと」
淳がそう言って、美穂子へと柔らかな笑みを向けた。
去年。
そう、去年の春の日。確かにこうしてケーキを三人で食べた。
「入学おめでとう、美穂子」
「去年もやったからな、今年もやらないとおかしいだろ」
そう言いながら、二人はそれぞれ自分の好みのケーキを手にしている。一応美穂子にはフォークを手渡したものの、彼らはそのままかぶりつくつもりらしい。
「え、えーと……あの」
美穂子としては、あまりにも予想外だったためにすぐには言葉が出てこない。
こんなふうに祝ってもらえるなんて、思っていなかった。
嬉しくて。
嬉しいけれど、なんだか、少し申し訳ない気もして。
「あの……ありがとうございます」
とにかく言わなくては、と口にした感謝の言葉。そして、それが音として自分の耳に届いた瞬間、彼女の中で喜びが実感としてこみあげてきた。
ああ、凄く嬉しいんだ、私。
二人にこうして祝ってもらえることが。
喜びをかみしめながら、美穂子は二人にペコリと頭を下げてから、満面の笑みを浮かべた。
心のからの感謝を込めて。